3.11東北地方太平洋沖地震

3月11日の地震発生から早2日、小刻みな余震は続いているものの、横浜では一応はいつもの生活に戻ったのかなと。心配だった不安定な位置のパソコンも重さのおかげか落ちたり、倒れたりしていることもなかったし、もともと汚い部屋にはあまり関係なかったかも(´・ω・`)
電車は昨日から動き始めていた(バスは一昨日からも走っていた)し、一部の食料品(牛乳やパンなど)が物流の滞りのために売り切れて、営業時間がいつもより短かったり休業だったりしたくらい。


時間を遡ると、地震発生時は職場で3階の工場フロアに。社員が「地震だ!」って騒ぎ出すも、どうせすぐ収まるから大丈夫でしょくらいに思った。
ところが明らかに大きくなっていく揺れ、大きな機械や中2階が音を立てて動き出す。すぐにしゃがむも身体どころか頭さえ隠すスペースもない、今思えば機械の下に逃げてもあれ自体が倒れてくる可能性もあったわけで>結局倒れたのはエレベータ前の棚くらいで、機械や壁が壊れることもなかった
揺れが収まると先輩から大声で避難させるよう指示、収まってそうそうに逃げたのか、揺れ始めた際に飛び出してしまったのかいない人も(もちろん避難場所の駐車場にはいた)。幸運なことに誰一人怪我もなかったけれど、避難ルートな安否確認は状況次第で変わるざるを得ないわけで、避難訓練が活きたとは全然思えなかった。


震度5強の揺れで怪我人なし、パニックになっている社員は少しいたけれど、本日の作業は終了で家族の安否が確認でき次第帰宅してもらうことに。ただ電話は混線と規制のために全然繋がらず、掛かっても生きているのは電話回線だけで停電のために相手が出られないことも。
交通機関も麻痺状態でJR京浜東北線は終日運休、徒歩圏内じゃない社員以外は自宅に帰れない人も出てきた。一部の人は送迎もするも場所によっては渋滞も凄まじくて、近場のはずが食料購入も含めて4時間近い運転になった。
泊まり翌日は昨日の影響で欠勤連絡、交通機関の運休の影響による遅刻連絡などはあったものの、昨日も含めて電話応対の勉強になった(優しさは大事)。作業自体は客先にも影響があったおかげで残業することなく無事に終了して定時過ぎに帰宅、またあって欲しくはないけれど、経験として次は活かせるようにしたい。