突然に失われる日常

今日、職場で同僚の一人が亡くなった。
今までと変わらない、いつもと同じ仕事の最中に、突然目の前に飛び込んだ目を疑いたくなる非日常の姿。
どうにもできなくて思わず呆然としてしまって、我に返って今の自分にできることをやった。
連絡してから間もなくやってきたレスキューの怒号が、状況の切迫さを訴えてくる。
運び出されるあの人の表情は眠っているようだった。


搬送先の病院から警察伝えで亡くなったことが知らされる。
正直、その知らせを聞くまではこの職場に戻ってこられなくても、目を覚ましてくれるんじゃないかとどこかで思っていた。
でも本当は最初にあの姿を見た時から、もう手遅れとも感じていたのかもしれない。


人が亡くなったリアルの前で感傷に浸っていられる時間はなかった…
いや、正確には何もできることがないばかりのあの時間がそうだったのかもしれない。
これからどうするのか、何をしなくてはいけないのか、今日明日の現実に対して求められるあらゆることを考えて、実行しなきゃいけない。


卑怯なことに、事故の起きた瞬間を目にしなくて、第一発見者にならなくて良かったと安堵してしまった私がいる。
もしくは運ばれているときの表情がとても苦しんだ後のものであったなら、事故にあったのが職場で最も頼りになる先輩であったなら、何一つ落ち着くことができないまま明日からの日々を向かえることになっただろうとぞっとする。


未だにあの人が亡くなったって実感が湧いてこない。
昨日までのように、明日からもいつもと変わらず「おはよう」と言葉を交わせるんじゃないかと。
きっと机に飾られた花を見たとき、彼の死にショックを受けたり落ち込んだりする皆を見たとき、現実に引き戻されるのかもしれない。


できることは、ただ「気を付ける」ことしかないのだけど、あらゆることを想像して、自分だけじゃない誰もが無事にある毎日を積み重ねるしかないんだろうなぁ。
できることを、必要なことを想像してまた明日からの日常に立ち向かおう。


○○さん、今までお疲れ様でした。