生きているから今も叫ぶ

いつからか大きなストレスになっていたのが集団の輪に感じる居心地の悪さで。表面上はきっと何も問題なく自然と付き合っているように見えているんじゃないかって思うのだけど、ときどき違和感を覚えるときがある。
同じ空間を共有できていない、どこかに取り残されたような感覚。そんな感情を抱く環境を作った原因はずっと理解しているつもりだった、実際は今もきっと気付いていないことだらけなのだけど。


俺は相手のことを理解したいはずなのに、必要以上に相手を知ろうとしていない。誰かが何かを書いていれば読みたくなるし、創作活動をしていればそれが観たくなる、でも語られた以上の領域に手を差し伸べることはしなかった。
ブログやmixiが多数の相手に情報発信をする場所なら、メールや電話は特定の相手と情報交流するもの。今まで分不相応なことを考えていたんだと思う、相手に興味を持ってもらえるほどの表現力がないのなら、相手を知って自分を知ってもらうための時間を持つべきだった。


誰かのことを知りたいくせに、時間や努力を惜しまずに人の気持ちに向き合おうとしなかったし、理解して欲しい相手に想いを伝えることもしなかった。だから俺はずっと満たされない、ないものねだりをして苛立っている。
鬱陶しく感じられるのが嫌で何もしなかったら誰にも興味を持たれなくなっていました、語弊はあっても間違っているとも思わない。それは生きているからこそなのかもしれない、もし事故で重傷を負ったら心配してくれる人はきっといるし、病気で死んだら泣いてくれる人もどこかにいると思う。


でもこれから何をしたらいいのかはよくわからない、遊び方を知らないってこういうときも損だね。メールや電話だって用もないのに、って感じちゃう俺はやっぱり犯罪者orひきこもり予備軍です。