争いから涙、母は鑑

俺はさまざまな劣等感を抱えているくせに、プライドが高い。自分ではっきりと意識ないうちに上から目線になっていたり、偏ったものの見方でも自分が正しいんじゃないかって妄信したりしている。
それは器の小ささであり、懐の小さな古池を大海と履き違えていた愚かさである。必要なのは自己実現、欲しいのは信頼、すべて手にとどきようのない小さな世界でもがいていた。


思わず涙したのは黙っていることが美しいわけからじゃない。言葉にしていないのに人の心を動かす身近な日々の積み重ねがあり、その言外のものから愛を知り、人を敬い、己が礎にしようと汲み取っている意志を理解することができたから。
その想いが伝わることはなくても、ただ幸せを願うだけなら、心の中にしっかり生きて流れているだけでもきっと嬉しいだろう。ただ目の前で、どこか遠くで、元気でいてくれることが幸せなのだから。


長い間抱えていた悩みに光明を得たかもしれない、歪んでいるのは世界じゃなくて人の心だ。絶望に打ちひしがれるだけの努力をしてきたのか、ものごとの本質や人の意思を正確に理解してきたのか。
どんな些細なことでも共感してもらうことは幸せであり、共鳴してもらえることは至上の喜びである。その意思は正負の感情に関係なく、自分の存在意義や価値観に新たな彩りを与えてくれる風だ、肌と心で感じようとしなければ気付けないまま流れ去ってしまう。


二度としない、して欲しくないからその覚悟を言葉にする。それが本気の覚悟なら、言葉にして反芻すればいい。
ぶつかってみなきゃ知ることができない世界はある、そこから何かを感じることができなかったら、ただの争いで終わってしまうけど。もっと知りたい、俺のまだ知らない色をもっと心から感じたい。