Re:睡眠に関するえとせとら

人の日記のコメント欄で語るには長すぎると思ったから、今回は記事にしてみた。

違和感…ってどのあたりかな。

「そんな常識に囚われてはいけない」って言い回しそのものかな、でもこれは俺の感性の問題。個人的には「常識」って表現より「綺麗事」とか「理想論」って言葉の方がしっくりくるかも。

私としては、テレビで聞く「自殺は悲しいものだ」「自ら死を選ぶなんて愚かだ」みたいなのが世論なのかなぁと。
確かにリストラやいじめや、そういうもので自殺してしまうのはとても悲しい。それは自分で選ぶんじゃなくて、他人に押し付けられた死だから。
だけど、その面だけで自殺そのものをマイナスなものと考えるのはいかがかなーと思うのです。
自殺者3万人の中には、おそらく満足して死んだり、この世界にいてもどうしようもないって見捨てて死んだりしている人もいると思う(推測…)
その人たちにとってはベストな死であるから、「生きていればもっと楽しいことがある」「親からもらった命をそうやって捨てるな」という言葉はナンセンスではないのかなーという意味での「常識に〜」だったのですが……言葉足りたでしょうか(^_^;)

言葉遊びみたいになっちゃうけど、リストラやいじめの自殺も結局は自分で選んだ死でもあると思うんだよね。あえて他人に押し付けられた死を言うなら、それこそ殺人や事故死みたいな理不尽な死みたいな。


きっと当事者にとっては迷惑な理屈なのだけど、俺は自殺の一方的に自己完結させてしまう部分がどうしても赦せなくて。それはその人たちにとってはベストかもしれないけど、彼らを想う誰かにとっては当然ベストじゃないのだから。
メディアで語り尽くされてた表現は安っぽい文句かもしれないけど、それもひとつの真理だとは思う。生きたくても生きられない人たちだっているのに、勝手に諦めてわかったつもりになって死を選ぶのは卑怯で愚かだ。*1

この主人公は自分の自殺を『尊厳死』として捕えている節があります。
自分の力では生きていられない、自分の望む姿ではない、という理由で生命維持装置を切るように、この先大人になるということは自由さがなくなって社会の流れに呑まれてしまう、そこでの幸せは自分の望む形とは違って、それで妥協してしまう他人が理解できないし自分には許せないから終わってしまおう。みたいな。
最近の、大人になりたがらない子供、をイメージ。
多くの人はそんな大人になった自分を受け入れて納得するし、ごく一部の人は本当に自分の望む姿で生きていられる。そのどちらにも属せない子。

ようするに俺はこの主人公の考えを受け容れられないってだけなのだけど、この物語が間違ってるってわけじゃなくてそれこそ捉え方の問題。現実にもこういう理由で死を選ぶ人はきっといるだろうし。
一所懸命に生きていればいつか変わるかもしれないし、それでもずっと変わらないかもしれない。待ち続けること、耐え続けることがどんなにつらくても、生きることってそんな悪いことばかりじゃないはず、それが人と関わりながら生きるってことでしょう?


・・・ってそもそも、どうして創作されたキャラクターの価値観に対して、ここまで暑苦しい論理を展開しちゃったんだか自分でもよくわからん。でも俺はやっぱりどこかで指摘された通りの理想主義者なんだって気付かされたなー。
俺は絶対に誰も死なせない、これからもずっと付き合ってくれる人は覚悟して(笑)>でもこういうやつが人を殺す

*1:生きられない人たちのために生きろってわけじゃない。ただ自分の論理で死を選ぶこと自体が傲慢で、生きることを冒涜しているんじゃないかとも俺は思う。