ナベアツの『3の倍数でアホになる』芸は障害者差別だ!」と主張する人々、声高に叫ぶ前に気付いて欲しいこと

受験のためにチェックできてなかった「障害者」関連のRSSで意外と反響があったから、1週間前の話題を今さらって気もするけど、障害者福祉を専攻してる自分なりに書いてみる。


「ナベアツの『3の倍数でアホになる』芸は障害者差別だ!」と主張する人々」 - 痛いニュース(ノ∀`)


ナベアツのアホな顔については、顔面神経麻痺の障害者を馬鹿にしているって主張と、真面目な顔からアホっぽい変顔をするから面白いんだって主張が中心だった。
俺自身は今までナベアツをテレビで観ても、障害者差別って発想は全然出てこなかったから、このニュースを知ったときはそういう考え方もあるのかって思った。


はてなRSSで気になった記事のひとつには、

笑いとは基本的に残酷なものだ。嘲笑も、そうでなくても。劣った相手を見て生じる場合が多いだろう。

って書いてあった。障害そのものを芸にしていた歴史だってあったわけで、誰も不愉快にならない綺麗な笑いなんてきっとどこにも存在しないと思う、どんな人にも必ず好きになれない人がいるように。


そもそもこの手の話題で障害者差別、特に青少年への影響を訴えている人達はどうして表現することを規制しようとするのだろう。
顔面神経麻痺の生徒をいじめる同級生や、日常で発達障害者を笑いの対象とする(精神的な意味も含んだ)「子ども」達の、歪んだ感覚や価値観を正すことこそが、本来大人のするべき仕事じゃないのだろうか。


都合の悪いものを隠して見せないようにするのは簡単、手間もかからないから簡単に対策をしているってアピールにもなる。でも障害って本質を理解しようとしなきゃ差別って問題は全く解決に向かわないし、これからも同じ過ちが何度も繰り返されることになる。

ナベアツは笑え。芸だからだ。

障害者は笑うな。好きでやってるわけではないからだ。

この記事のひとことがこの問題の核心を突いていると思う。
批判や追及されるべきなのは笑いやユーモアじゃなくて、目の前の障害者を笑うあなた達とそれらを見過ごしているあなた達自身じゃないだろうか。