What’s Your Justice?

今朝ニュースを観てたら、アメリカ(のどこでやってたかは忘れた)で反戦デモ、アメリカ軍のイラクからの撤退を要求する集会が行われたことが報道されていた。

デモとか集会をすることはけっこう大事なことだと思う。
それは直接政治には参加できない一般人の明確な意思表示だから。


でも今回気になったのは米軍のイラク撤退を望む母親の声。

自分の子供を心配する母親の気持ちは当然の感情だ。
だけど、それならなぜ我が子が軍隊に入隊するときに何が何でも止めなかったのだろう?

確かに入隊するときは、両親は本人の意志を尊重したのかもしれないし、国の誇りだと喜ぶ両親もいたかもしれない。


だけど実際我が子が戦地に赴くときになって、その命が秤に掛けられたときになって、初めてその命の重みに気付く。

それは日本における自衛隊イラク派遣のときにも言える。
日本が攻め込まれたときならいいけど、わざわざ“危険な”場所に送る必要はないと言うなら、それは自衛隊が日本にいれば我が子は安全だ、日本は攻め込まれないと高を括っているのとさして変わらないだろう。


「意味のない戦いだ」とか「無駄な血を流すべきではない」とか、そんな言葉を聞くけど、

“誰”がそれを決めるんですか?


多分、“意味もない”戦いも“無駄な”血も流れてはいない。

それはどこかで大きな意味を持ち、無駄にならずに何かを生み出す。

もしそれを“愚か”と言うなら、ただの傍観者か、戦争で最悪の絶望を味わった人達かのどちらかだと思う。


戦う人も、戦うことを望む人もそこに意味を見出したからこそ、戦おうとする。
それはかけがえのない人や大事な場所を守るためかもしれないし、野望や利己的なエゴからかもしれない、大きな大儀を自分達の中に掲げる人もいるだろう。
伊藤博文李鴻章は「戦争は外交の一手段」と考えていたって話も聞いたことがある。


戦争で大事な人を失ったときに、やっと人はその行為がどれだけ悲しいものであるか知る。
本当の命の重さを知る。
多分、大事な人が死んだときに初めて回り始める歯車がある。


愚かだと嘆いたり、悟るだけじゃ意味がない。
何かをそこに見出して、考えていかなくちゃいけないと思う、少なくとも僕とこれを観たあなた達は。

ただ戦争を知らない僕達の世代の考えは、ただの絵空事かもしれない。
こんな考え方もあるんだって思ってください。